EB-Japanチーム、ライターのユミです。
先日、ナオが書いた「自分の軸を持つ方法」という記事にもありましたが、わたしたちEBは「NGワード」の存在をとても大切なことだと思っています。
EBでは、「的確に、明確に言語化すること(Articulation)」に価値を置いているため、曖昧な理解や、表現不足の「かくれみの」になっている言葉をNGワードと呼んでいます。例えば、「感覚的に…」とか「モヤモヤが…」など。こういった表現を多用することで、「感覚的って一体どういうことなんだろう?」とか「モヤモヤって何?」と、その奥にあるかもしれない大切なものを明らかにしていく機会を失っていると思うのです。
他にも、わたしたちがNGワードとして挙げているものはたくさんあります。
「直感/直観」や「本質」という言葉もそうです。
これらは、曖昧にしか理解していない、曖昧にしか表現できない、
という状態の自分をごまかすために、使われることが多いからです。
言語化の能力不足を、「自分は言葉にできないほど高尚な感覚を持っている」ということにしてごまかしていませんか?
確かに、生きている間には、「言葉を失う」とか「うまく言えない」という経験は起こり得ます。でも、それは言葉を放棄する理由にはなりません。
わたしは、そういう安易な言葉使いに出合うたびに、「じゃあ、テレパシーで送ってみてよ」と言います。(もし、その人がテレパシーを使えたとしても、それはとても粗くて言語として通用するようなものではないのでは?と思うからです。)
言葉を諦めない。これは決して譲ることのできない価値観のひとつです。
EB19の
□ わたしは、高いレベルで成し遂げる。
この項目にもつながるEBの哲学として、わたしも更に取り組んでいきたいと思っています。
執筆:ユミ
最近のコメント